ヴィリニュスのテレビ塔と朝の霧に包まれるヴィリニュスの町

朝の霧に包まれるヴィリニュスの町 リトアニアの風景朝の霧に包まれるヴィリニュスの町 リトアニアの風景 リトアニア ヴィリニュス

エストニア、ラトビアと並ぶ「バルト三国」の一つであり、「バルト三国」の中で最も南に位置するリトアニアは、面積約65,300平方キロメートルの国土に約272万人の人々が暮らす国。他のヨーロッパの小国同様、大国に振り回されてきた波乱の歴史を持ち、特に20世紀以降はナチスドイツと隣国の大国ロシアに国土や人が蹂躙されてきた。そんなリトアニアが独立を果たしたのは1990年代に入ってから。1990年3月、ソ連崩壊と時を前後してバルト三国の中でも一番初めに独立を宣言し、ラトビア、グルジア、エストニア、ウクライナと、ソ連を構成していた国が次々に独立宣言をする端緒となった。その後、1991年の12月25日~26日にかけての、ゴルバチョフのソビエト連邦大統領辞任表明、クレムリンに掲揚されていた旧国旗降下、ソ連最高会議でのソ連の消滅正式確認などの出来事を経て、ソ連は事実上崩壊している。(チェルノブイリ原発の事故や原油価格の暴落など、ソビエト連邦崩壊のきっかけになった出来事は複数あるといわれる。)

リトアニアの首都ヴィリニュスは、ベラルーシとの国境にほど近い場所にある都市で、ドイツ帝国、ポーランド、ソ連、ナチスドイツ、そしてソ連と、幾度も侵攻を受け、併合という憂き目にあいながらもリトアニアの首都に復帰した。戦場になったり、一般市民が捕虜となったり強制連行されたり、といった長い苦難の歴史を乗り越えてきたのにもかかわらず、奇跡的に旧市街には、教会建築をはじめとする、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式といった各時代の建築物が1500余り点在、今なお中世の頃の面影を色濃く残している都市として知られ、世界遺産にもなっている。

写真はそんなヴィリニュスの遠景。リトアニアで最も高い建造物である、高さ326メートルのヴィリニュステレビ塔と朝の霧に包まれるヴィリニュスの町。今は美しい景色の中に立つこのタワーは、1991年1月、独立運動を阻止しようとしたソ連の軍隊がリトアニア市民に発砲、14人の死傷者が出た「血の日曜日事件」の現場となった。いつの時代も、大国の一方的な論理に振り回され、市井の人々が犠牲となる。普通に生活している全ての人々が、安心して暮らせる世の中が来ることを心から願ってやまない。