夜の国会議事堂とドナウ川 セルビアの夜景 ベオグラードの風景
夜のベオグラード 国会議事堂(セルビア国民議会の議事堂)とドナウ川 セルビアの風景
或る程度年齢を重ねた方なら、かつて東欧に「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という社会主義の国があったことを覚えていらっしゃるでしょう。もしくは、世界史を勉強した方やヨーロッパや東欧の歴史に興味がある方なら知識としてそれを知っていることでしょう。ユーゴスラビアは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国」と表現されたように、「複数の国と、そこに住む別々の言葉を話し、別の宗教を信仰する幾つもの民族」が集まって出来上がった複合国家の国であり、その多様性から「モザイク国家」ともいわれました。
ユーゴスラビア以外のモザイク国家の例としては、多民族が暮らすことで知られるインドや、少数民族が多く暮らすミャンマーなどが挙げられますが、「多様性」があるということは例えば食文化が豊かであったり町中のファッションの多彩さ、芸術的な分野においての表現や意匠の豊かさというプラスの側面がある一方で、民族や言語が異なりさらに宗教が異なることで生まれる軋轢、すれ違い、もしくは文化的、民族的なぶつかり合い、小競り合いなどが発生しやすいということでもあり、一つの国の中であっても紛争や内戦が勃発しやすいという側面があります。ちょっとしたいざこざをきっかけに大きな争いになってしまうこともあり、長年積み重なった不平不満、偏見や抑圧に対する反動などで、往々にして国内情勢が不安定になったり、内戦が激化してしまったりもするのです。
ユーゴスラビアもご多分に漏れず、90年代、連邦内の国々の独立運動をきっかけに「ユーゴ危機」といわれた激しい内戦が勃発、国土や国民は大きく傷つきました。リンチや拷問なども頻発、爆撃や砲火により建物も崩壊し、多くの人が家を失い、故郷を追われました。この内戦の影響で数十万人の人がなくなったり行方不明となったといわれています。
現在、旧ユーゴスラビアは、クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ、北マケドニアといった国々となり、政治的にも経済的にも落ち着きを取り戻してきたといわれています。
写真は旧ユーゴスラビアの中央に位置し、政治的にも中心を担っていたセルビアの首都であり、旧ユーゴスラビアの首都でもあったベオグラードの夜の風景です。現在のセルビア国民議会によって使用されている「国会議事堂」は、ユーゴスラビア連邦人民共和国が1945年に成立する以前のユーゴスラビア王国の議事堂として1936年から使われている建物で、1907年から、第一次世界大戦、大恐慌などによる中断をはさみながら30年近くかかって完成したという建物です。