シリアの世界遺産「パルミラ遺跡」 シリアの風景
紀元前8000年ごろには既に麦栽培がおこなわれていたともいわれ、世界でも最も古くから人類が住み着いてきた地域とされるシリア。紀元前3000年~2000年頃にかけて生まれた文明として、エジプト文明、インダス文明、中国文明と共に「世界四大文明(四大河文明)」の一つに数えられる「メソポタミア文明」の「メソポタミア」は、現在のイラクやイラン、クエート、トルコ、そしてシリアが含まれる一帯を指します。
そんな古くから人類が暮らし文明を作り上げてきたシリアには、その歴史の長さを象徴するような遺跡、史跡が数多くあり、それらのうち「古代都市ダマスカス」「古代都市ボスラ」「古代都市アレッポ」「クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン 」「シリア北部の古代村落群」、そして「パルミラ遺跡」の6件が世界遺産に登録されています。残念ながら、「アラブの春」以降に勃発した激しい内戦で、古くからの遺跡なども含め各都市が破壊されている状況下で、これらの世界遺産はいずれも「危機遺産(危機にさらされている世界遺産)」リストに加えられています。
写真は、シリアの世界遺産6件のうちの一つ「パルミラ遺跡」の風景。かつてナツメヤシが町のいたるところに生えていたことからギリシア語で「パーム(ヤシの木)の町」の意味を持つ「パルミラ」と名付けられたというこの場所は、古くから交通の要衝として知られ、地中海沿岸都市と東を結ぶ交易路にある都市として、シルクロードの中継地点として栄えてきたといわれます。横断するのに40日前後もかかったというシリア砂漠を行きかう隊商(キャラバン)の人々にとってはシリア砂漠のほぼ中央に位置するこの町は、まさに砂漠のオアシスであったのかもしれません。町は次第に発展し、紀元前1世紀~3世紀頃にかけて絶頂期を迎えたといわれます。ローマ様式の建築物が幾つも建造され、大いに繁栄しました。
しかし、267年に、パルミラを支配し「東方全域の総督」とも称されたオダエナトゥスが甥に暗殺され、その後を引き継いだ彼の妻ゼノビアが実権を握ると一時勢力範囲を広げたものの、やがてローマ皇帝アウレリアヌスがパルミラ制圧にのりだし、272年にゼノビアは身柄を拘束され、パルミラの町も破壊されてしまいました。
「パルミラ遺跡」は1980年に世界遺産に登録されました。現在、レバノンの「バールベック遺跡」、ヨルダンの「ペトラ遺跡」と共に中東三大遺跡の一つに数えられているほか、その頭文字の「P」をとってヨルダンの「ペトラ遺跡」、イランの「ペルセポリス遺跡」と共に「中東の3P遺跡」にも数えられています。