シーギリヤ・ロック スリランカの風景
スリランカの世界遺産「古都シーギリヤ」のシーギリヤ・ロック スリランカの風景
「世界の七不思議」という言葉をご存じでしょうか?「ギザの大ピラミッド」「バビロンの空中庭園」「エフェソスのアルテミス神殿」「オリンピアのゼウス像」「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」「ロドス島の巨像」そして「アレクサンドリアの大灯台」の7つの建造物を指していうのですが、この「不思議」とは、どうやって築かれたのか技術的に不明であり「超古代文明」の存在も取りざたされるような意味での「不思議」ではなく、本来の言葉が「驚異的な」「驚くべき」「賞賛すべき」といった意味であったのが、いくつかの言葉に訳された後、日本語訳になった結果「不思議」と訳され、そのイメージが独り歩きしたということのようです。
その真偽のほどはともかく、さらに「世界八番目の不思議」という言葉もあります。これは先ほど挙げた七つの構造物に加え、見るべき注目すべき存在として挙げられるもので、その例としてはグランド・キャニオンのような自然の造形、構造物から、万里の長城やタージ・マハルなどの建造物が含まれるのですが、そのうちの一つが世界遺産にも登録されているスリランカのシーギリヤです。
空から見ても独特で大きな存在感を放っているこの遺跡は、5世紀にカッサパ1世(在位477〜495年)の命により造られたという王宮の跡。なぜこのような場所に築かれたのかといえば、それはカッサパ1世が王位を平和裏に継承したのではなく、クーデターによって父王から王位を簒奪したことに理由があるようです。城の代わりに天然の巨大な岩を要塞化したというわけですね。岩の上には水路が築かれ、庭園や食料や武器などを貯蔵する施設もあったといいます。結局、平民出身の母から生まれたカッサパ1世は、王族の出であった母から生まれた弟モッガラーナ1世に攻められ、このシーギリヤも陥落してしまいます。
モッガラーナ1世はこの地を仏僧に寄進し、その後は修道院として利用され、キャンディ王国が支配下に置いた後、廃れてしまったようです。まさに栄枯盛衰、盛者必衰を目に見える形で今に伝えている存在ですね。