ケーブルカーのある風景 アメリカ合衆国の風景

サンフランシスコ ケーブルカーのある風景 アメリカ合衆国の風景サンフランシスコ ケーブルカーのある風景 アメリカ合衆国の風景

子供の頃に大好きだった絵本の一つにバージニア・リー・バートンの絵本があります。もちろん、その当時はバージニア・リー・バートンという名前も、訳者の石井桃子さんの名前も認識はしていませんでしたが、「ちいさいおうち」とか「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」といった、優しくて柔らかなタッチの絵と、絵と完璧にマッチした心温まるお話が大好きでした。訳者は別の方ですが「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」も子供の頃のとても大切な一冊です。

そのバージニア・リー・バートンの描いた絵本の一つに「ちいさいケーブルカーのメーベル」というお話があります。ご存じの方も多いかもしれませんが、「サンフランシスコに、はじめてケーブルカーが走ったのは、1873年8月1日のことでした。発明者はアンドリュー・S・ハリディという動物好きの人でした。」というまえがきで始まるお話です。

絵本は、「メーベル」というケーブルカーの紹介、やねに鐘が付いていること、床下にあるグリップのこと、ブレーキを三つもっていることなどのお話から始まります。一日の様子、そして車庫に入って休む様子などが絵と文で紹介されるのです。それから、回想シーンに入り、サンフランシスコの昔のこと、ケーブルカーが沢山走り、出かける人々を大勢乗せていった、楽しかったころの時代、電車が走り始め、自動車が増え、町が発展する様子が描かれます。町は次第に大きくなり、ケーブルカーが時代遅れになって、ペンキも塗り替えてもらえなくなりますが、それでもめーぶるは町の人が大好きで、自分の仕事が大好きで朝早くから夜遅くまで一生懸命働くのです。大きなバスにやじられからかわれて落ち込んだり、そうこうしているうちに、ケーブルカーを廃止する、という噂が聞こえてくるようになります。そして、市民たちはケーブルカーを廃止するのかしないのか、自分たちで決めるべきだと立ち上がり、ケーブルカーを廃止すべきではないという立場の人々は「サンフランシスコの ケーブルカーをまもる しみんのかい」を作ってケーブルカーを存続させるためにポスターで宣伝したりパレードなどを行うのです。そうして迎えたケーブルカーの運命を決める投票日、その結果はいかに。というお話なのですが、子供の頃は当然、投票だとか宣伝などという言葉の意味はよくわかっていませんでしたが、古臭くて時代遅れになりつつあったのかもしれないケーブルカーを、皆が残したいと願っている様子が、子供心にとてもいいなと思った覚えがあります。

「ちいさいおうち」のお話の中の、「初めは自然豊かな美しい丘に立っていた「素敵な」ちいさなおうちだったのが、周囲の環境が徐々に変わりゆき、どんどんと発展して都市化してしまった結果、一時は大きなビルの狭間に小さく縮こまるようにして立つ「見すぼらしい」おうちになってしまう、そんな「小さなおうち」はある日大きなトレーラーに乗せられて・・・」というストーリーと、シチュエーション的にどこか被っている部分もあり、二つの本のストーリーの根底に流れている「時の流れと物事の変化、それでも変わらない本当に大切なもの」というテーマ(個人的な感想です)が、二つの本の作者であるバートンのタッチで描かれる同じように柔らかで優しい色使いの絵の世界観とも相まって、両者(二つの本)とも、とても心に染み入る、そして何十年経っても鮮明に覚えているような大切な本の一つとなっています。

今までほとんど意識したことはありませんでしたが、ふと考えてみるに、バートンのこの二つの本によって、「時代遅れだからといって、昔から伝わってきたものを無下になくしてしまうのではなく、古き良きものへのノスタルジックな感情も含めて、長く大切にしていくことの大事さ」、そんなものを学んだ気がするのです。

発展や儲けることが悪いことだとはもちろん思いませんが、それだけが大切なのではなく、長い時間をかけて出来上がってきたもののみが持つ温もり、「歴史と伝統」からくる落ち着き、穏やかさ、優しさ、懐の広さ、器の大きさ、そんなものこそ大切なことなんだよということを知らず知らずに教えられた気がするのです。

実際の話として、アンドリュー・S・ハリディは坂の多い街サンフランシスコにおいて雨に濡れた路面で滑り、鞭うたれている馬車の馬を見て、かわいそうに思い、ケーブルカーを考案したという話が伝わっています。

これは動物好きであったハリディの人柄、~ケーブルカーを考案したことへの賛美と称賛だけではなく~、その暖かで優しい人柄を伝えるエピソードです。

彼がケーブルカーを考案したその結果として、今や世界中から観光客が訪れてケーブルカーに乗車したり、撮影したりするという、サンフランシスコでも指折りの観光資源となった、という「サンフランシスコ市(ひいてはサンフランシスコ市民)への貢献」になったと共に、雨に濡れた石畳で滑って前に進めずに鞭に打たれるかわいそうな馬がいなくなったという、慈愛に満ちた「馬への貢献」にもなったという側面もあるというわけです。

「優しさ」が生み出した、とても大きな存在、それがサンフランシスコ・ケーブルカーなのかもしれませんね。